この記事は、前回の「高卒フリーターからホワイトカラーの正社員になった体験談」の続きです。
長い浪人生活に終止符を打って、1年以上悩んだ結果、プログラマーになってお金持ちになることを新たな目標として設定し、就職成功までこぎつけることができました。
今回は就職後、実際に正社員としてホワイトカラー職に就いてから現在までの10年間について書いていこうと思います。
これから就活を始めようと思ってるけど、実際にホワイトカラー職として働くことに不安を抱えている人や、就職には成功したけど、本当にやっていけるか不安という人の参考になればと思います。

希望とは違う職種でのキャリアスタート

無事プログラマーとして正社員型の派遣会社に採用され、研修を受けながら配属先となる派遣先を探すという社会人スタートを切った私でしたが、実際にはすぐに技術者になるというのはハードルが高く、まずは半導体系の工場に事務職として行くのはどうかと営業担当に打診されました。
正直、希望の職種と違うことは少しがっかりだったものの、雇ってくれた会社に1日でも早く貢献したい気持ちと、自分自身、仕事でパソコンを使うのもはじめてだったこともあり、いきなりプログラマーとしてやっていくことに自信がなかったこともあって、入社1ヶ月ほどでその派遣先に行くことを決めました。
毎日が初めての体験

派遣先では製品の品質を扱う部門に配属され、技術的な知見がある程度必要な事務職という立ち位置での仕事をすることになりました。
はじめは簡単な研修から始まって、会社のルールや製品知識、製造工程などを、Webラーニングや講習、工場見学を通して勉強させてもらいました。
実際の業務に入ってからは、日本の拠点だけでなく、海外の拠点ともメールでコミュニケーションをとりつつ仕事を進める必要があり、受験時代にずっと苦手だった英語も一から文法の勉強をしつつ、翻訳ツールも駆使して、なんとかメールでのコミュニケーションであれば対応できるようになりました。
メールや書類仕事でパソコンに張り付く時間もあれば、不良品として返却された製品を受け取って管理もしていたので、オフィスだけでなく、物流エリアや倉庫など、工場内の色々な場所を覚えて、だんだんと自分ひとりでも仕事を回せるようになっていくのが楽しくなって、振られた仕事は断らずに何でもチャレンジして、勉強させてもらいました。
ホワイトカラーは楽しい

アルバイトで肉体労働をしていたときは、時間と体力こそがお金の源泉で現場の経験こそがすべてって感じでしたが、サラリーマンになってからは、いままで勉強してきたプログラミングのようなソフトウェアの知識や、浪人時代に受験勉強でやっていた物理や化学の知識も仕事をする上で求められて、自分に合っているのは圧倒的にこっちの仕事だなと感じる毎日でした。
飲み会では先輩社員の人たちの飲み会の場でしか語られないような会社のこと、仕事の話が楽しくて、派遣元・派遣先関わらず、誘われればできるだけ出席して、2次会以降も積極的に参加するようにしていました。
職場にも慣れて、仕事にも慣れてくると、仕事の改善点がわかるようになってきて、やり方やルールを変えてみたり、そのプレゼンを任されて夜中まで発表用の資料を作ったり、ときには海外出張に同伴することもあったりと、やればやるほど、新しい経験をさせてもらえるところが面白く感じました。
マンネリとぬるま湯

そんな感じではじめの3年間くらいは新しい刺激も多くて楽しく仕事できていた私でしたが、4年や5年にもなるとだんだんと全体のことも見えるようになってきて、その職場で見聞きするようなことに新しさを感じることが減っていきました。
ストレスも少なくて、とてもいい職場ではあるけど、出社していつもの事務作業をこなして、何か起きても解決策はだいたいわかるという感じなので、仕事で与えられた目標やミッションを達成しても特段なんの達成感もなく、自分の成長が止まってしまったような感覚を覚えるようになりました。
やっぱりプログラマーになりたい

もともと業務改善として書類仕事や集計作業をプログラミングで一部自動化することで、生産性を上げるようなことを少しはやっていて、そこでプログラミングしたい欲を少しは満たせていましたが、事務仕事にマンネリ感を感じてからはもっとプログラミングしたいと思うようになり、暇を見つけては自分のタスクをプログラムを書いて自動化するということをやっていました。
チームの定例会議などで、自分の業務をこんな風にプログラミングで効率化してますとアピールするようになると、他のメンバーからも認知されて、業務の効率化についての相談やツール開発の依頼をされるようになり、段々とそっちの仕事のほうが増えていき、また仕事が楽しいと思えるようになっていきました。
DX担当となった今

コロナ渦と同時期くらいには、世の中の風潮も変わってきて、DX(デジタルトランスフォーメーション)やリモートワークの必要性が叫ばれるようになって、仕事もデータやITの力を使って効率化するのが当たり前という雰囲気になってきたこともあってか、自主的にいろんな人の業務改善の相談に乗っていた私が、自然とDX担当を任されることになりました。
それまではツール開発に使っていた道具もExcel VBAという一般の事務屋さん御用達のものがメインでしたが、Webアプリケーションを作れるようなローコード開発環境やデータベースサーバー、AI・機械学習でおなじみのPythonなど、本格的なものを使わせてもらえるようになって、今ではプログラミングとデータエンジニアリング、業務改善がメインの毎日を送ってます。
まとめ

はじめはフリーター経験しか無く、事務職にとびついたところから始まったキャリアでしたが、振られた仕事はなんでもやって、自分のやりたかったプログラマーとしての仕事も、改善の実績を見せながらアピールすることでやらせてもらえるようになりました。
時代の流れでチャンスが降ってきたという側面もあるとは思うけど、やってきたことがあってそのチャンスを掴むことができたというのもあるので、今の環境では無理だと思えることでも、自分の動き次第ではやらせてもらえるようになる可能性はあるということだと思います。